一昨年だったか、どうしようもない状況に追い込まれていた時によく流れていた曲。

花咲く丘まで 口笛吹いてこう

いじわるな人が とやかく言うけれど

私は、どこかで まちがえたかしら?

今はわからない

答えは 空の上



『プリズム』~YUKI


PRISMIC端的に言ってしまえば、失恋の痛手を象徴的に昇華させている歌なのだが・・・なぜかその時の私の心をYUKIの歌声が洗い流してくれた。
私のその時の状況とはまったくそぐわない歌の内容だったにも関わらず。

その瞬間にしか作用しない歌の持つパワーは確かにあると思う。

その時に私が感じたのもまさにそれであった。
YUKIの歌声でも歌詞のセンテンスでも無く(もちろんそれもあるのだが)、歌そのものが持つリアルなパワー。




 
音楽を聴き始めてから、私の場合、かなり長いこと洋楽中心であった。

コダックのCMで流れていた、Daydream Believer by The Monkees
ネスカフェ?のCMで流れていた、Honesty by BILLY JOEL
AMラジオから聞こえてきた、Hotel California by Eagles

その頃、小学生だった私には、何を歌っているのかなんてまったくわかるすべも無かったのだが、今でもその曲を聴いた時のことを良く覚えているように、私の心の中に入ってきた曲だった。

歌にはそれを創り出す人間の思い以上の魂が宿るものなのであろう。
そして、それを聞いた人間は勝手にそれを解釈し、自分のものへと昇華させ魂を共鳴させて行く。
だから、言葉がわからなくとも歌を感じることができるのであろう。

 
『歌っている時の方がアレをしている時より気持ち良い。』と言ったのは、ジャニス・ジョプリンだったか。
『頭の中で鳴っている音をとにかく出してやらないと気が狂ってしまう』と言ったのは、ジミ・ヘンドリックスだったか。
 
 
少し前にこんな記事があった。(Mt.EGEさんのBoAが韓国でヒンシュクをかっている模様というエントリーで知ったのだが)

 

BoA、なぜ韓国ではアテレコ?(中央日報)
ライブを固守することで有名なBoA(18)が最近、一部の舞台でリップシンク(アテレコ、無声で歌うふりをすること)公演を行い、ファンとネチズンらを失望させた。BoAは最近、タイトル曲『My Name』に続いて『Spark』で活動しているが、頻繁にリップシンクで公演している。


 
ライブは一つのパフォーマンスの場であり、アーティストがパフォーマンスをどう定義するかによって表現方法というものが変わってくるのだから、BoAが「歌ならば歌、踊りならば踊り、どれか一つを完ぺきな形で見せたい」と言っているのなら、それはそれでいいではないか。
このこと自体に私はとりたてて文句があるというわけでもない。

ただ、私はBoAの歌には何も感じることができないだけである。

踊りでも歌でも、技術を見たい・聞きたいわけではない。技術を超越した先にある、そのアーティストの持つ魂を削って生み出されたパワーを感じ、糧としたいから。

そして、大部分の人が歌に求めているのは、多かれ少なかれそういうものだと思う。