えー、小粋仲間の foofoo さんが3月26日で 8年間の大学生活を終えられ、無事に卒業されたということで、ご卒業おめでとうございます。長い間、社会人との両立、お疲れ様でした。

卒業記念にトラバ企画をたてられていたので、だいぶ遅くなりましたが参加させていただこうと思います。^^

■TB to 【卒業記念TB企画】「あなたが今年度卒業するもの、したいものは?」 by Nonsense?

【卒業記念TB企画】「あなたが今年度(今年でも可)、卒業するもの、あるいは卒業したいものを教えてください」


”この支配からの、卒業~♪”なんて、どうしてもここら辺の世代なんで、このフレーズが頭の中に出てきてしまうんですよね。(笑)

とは言え、実は、そんなに熱くなって尾崎豊を聴いていたわけでは無いんですがね、当時。あー、確かに高校生の時、その辺に止めてある原付バイクにマイナスドライバーを突っ込んで、真夜中に走り回ってパトカーに追いかけられたこともありますが、それだって、特に何かに怒ってたわけじゃなかったし。(笑) どうもね、冷めてたんですよね。

私の卒業したいものはなんでしょうね…。

特に何かを成し遂げようとか、こうありたいとか、そういう強い思いがあるわけではないので、諦めること自体があるわけでもないのですが、それでも、何だか冷めた感情があって、物事を諦めてしまっている感覚というものが常についてまわっていたような気が。車を運転してて、このままガードレールに突っ込んでもいいかなぁなんて、ふとした拍子に淡々と思い浮かんだりして。(笑) いやいや、別に何があるってわけではないので、実行に移すなんていうことは200%ぐらいあり得ない話なんですがね。怖くて痛いの嫌いだし。(笑)

自分が相手に対して感じているのと同じぐらいの気持ちを、当然、相手も感じているんだというふうに思い、結局、相手は自分と同じようには感じないんだということがわかって、何だか裏切られた気になって・・・なんていう繰り返しを重ね、そんな気分と言うものが形成されていったのでしょうかねぇ。他人が他人のことをわからなくて当たり前ということは、今では普通に理解できるのに。(笑)

結局は、他人と言う存在に対して、もう一人の自分という実存を投影していたのでしょうね。

そのころからずっと思ってて、今もたまに思うことは、もう一人の自分が存在すればどんなに良いだろうということですね。似たような人間と言うことではなく、同じように感じ、同じように考え、同じように行動する、実存としてのもう一人の自分。そんな自分が自分の身近に存在していればどんなに楽に生きれるだろう。まぁ、そんなことはあり得ないし、ただの逃避にすぎないんですけどね。(苦笑) でも、しばらく前に、そんな感じの人を見っけたんですよね。もちろん背景も違えば年齢も違うし、そこから来る経験の違いで、発する言葉も違うんですけど、同質という部分を通り越した分身のような感じで、なんだか自分を見ているようでした。まぁ、それがもう一人の自分の実存だったかどうかを確かめる術は無くなってしまったので、本当だったかどうかはわからずじまいですが。(笑)

というわけで、いい加減、もう一人の自分という実存を探すことはやめようと思います。自分と言うものは自分の中にしか存在しないですからね・・・。というわけで、自分から卒業ですね。(笑)


ああ、そうだ。あと、歯医者から卒業しなきゃいけなかったんだ。
2年ぐらい休学してるんですよ。歯医者。治療半ばにして、行くのをやめちゃったという。(笑) 痛くは無いんですが、何だか、最近噛み合わせがおかしいのか、あごが痛くて。というわけで、復帰してきちんと卒業しないといけないなぁ。(笑)