個人の論理と組織の責任。
私が勤めている会社で、まったくもってつまらない話があった。
どういう話かというと、経理の女性が無断で会社を数日休み、それに対して、会社側からは何のお咎めも無かったという事である。
普通、会社側からは何もお咎めが無いということであれば、のっぴきならない事情があったのだろうと推測されるが、そうではなかった。
その休んだ理由と言うのが、男に振られて会社に行く気が無かったということらしい。(笑
もうひとつ、つまらない話がある。
同じ経理のもう一人の女性。
この人も突然よく休むらしい。(笑
子供がまだ小さいということもあるが、子供の体調が悪いという理由で休むようだ。
このことに対しても、会社側からは何のアクションも無い。
で、これらの事が続いているので、真面目に仕事をしている人達から、本人にクレームがいっているようである。
クレームを受けた本人は、そういう風に注意を受けるものだから、職場の環境に嫌気がさしてやめようかなぁと言ってたりする。
「子供の病気」にしても、「男に振られたということ」にしても、個人として考えた場合、至極重大なことだ。
価値観の相違こそあれ、個人の思いに関して、他人が「それは大して重要じゃない」というような順位付けなどできないのだから、その現象に対して休むという行動を起こした個人に、「何で休むの?」「大した事無いじゃん。」などという論点から口を差し挟むことはできない。思いはその本人だけのものであって、他者がとやかく言って優先度をつけることなどできないのだから。
休むという行為を起こした後のその個人の対処はどうであろう。
- 無断で連絡もせず休む。
- 何度も繰り返し同じ理由で休む。
社会に出て自立した個人であるのならば、当然、他者との関係という世界の中で、己の存在を見出していかなければならない。
自分が起こした行動によって、他者(世界)にどのような影響を与えるのか、意識的にも無意識的にも考えて行動して行くというのが、社会へ出て個人として立つものの責任と思う。
この場合、どちらも社会に出て他者と関わっていくという上での個人としての責任を果たしていない、と言わざるを得ない。
「無断で連絡もせず休む」は言わずもがな、「何度も繰り返し同じ理由で休む」のなら、そうならないための次善の策を講じるのが個人の努めだと思う。
責任を果たしていないのだから、責められても致し方ない。
ただ、ここで重大な部分が抜け落ちていることを考えていかなければならない。
それは、これら二人のスタッフをどうマネージメントしているのかと言うことだ。
組織はスタッフが行った行為に対して、何が問題であり、どうあるべきかという事を、マネージメントを通じて、本人の成長へとつなげていく義務があるのだが、これら一連のつまらない話の過程でそのようなマネージメントが機能したという話を全く聞かない。
組織が成長していく上で、マネージメントの正しい機能は必須であるが、その機能自体が存在していないということは、muro氏が言うように私が所属している組織は「その程度」の組織でしか無いのであろう。
そのような組織に所属していると言うことは、前出の問題となった二人を含め、その組織に存在している全ての個人にとって不幸なことと言わざるを得ない。
そして、組織もまた責任を果たしていないと責められても致し方ないのである。
って言うか、わかってるんだったらお前がマネージメントしろっていうことなんだろうなぁ。(笑