スキルがあって人間的魅力があるからといっても、必ずしも組織には必要とされない。その組織の問題は何で、何を改善することが必要かということがわかっていたとしても、そのわかっている人間が組織に必要とされない現実。

まぁ、私は今の会社で4社目の駄目駄目転職人生(スキルに軸足をおいてるせいもあるのですが)ですが(笑)、どこへ行っても大なり小なり同じなんですよね。声ばかり大きい奴、パフォーマンスだけが上手な奴、そういう人がなぜか重宝がられたりする。
地道に、目立たず、こつこつと、やるべきことを積み重ねている人に限ってなぜか評価されていない。そして、本当の意味で必要なそういう人間は、自分の目的を見つけて自らその組織を去って行ってしまい、その組織に残っている人間は、そこでしか通用しない人間だけになってしまう。それでも企業は回って行くという事実。

おもしろいもんですね。

いえねぇ、なんでこんな事を考えているかというと、まぁ、私の近くでこんな話があったんですよ。


 
正社員では無いけれども、どっからみても優秀な人材がいて。その人材を使っている正社員はどうしようもなく半端な奴で(仕事をして給料を得る責任とはどういうことかが全くわかっていない奴)。ある日、その優秀な人材がその正社員に対して『組織の問題は何で、何を改善することが必要かと話しても、何もしようとしないあなたの下ではもう仕事をすることができません。やめます。』と言いました。
それに対して、その正社員は何も答えることができず、その優秀な人材に口止めされたということもあるが、その正社員の上長である人間には何も伝えようとせず、手をこまねいている内に退職時期が決まってしまいました。

その正社員は何をすべきかは簡単なことなんですけどね。自分のプライドやら、自分の上長に怒られてしまうという感情やらは、とにかく置いておいて、何よりも組織がきちんと機能する為にすることを行うという責任を果たすこと。それだけ。
それが中々できないんですよね。それは、組織が生き残っていくためには情緒的な感情はある意味必要の無いものであるにも関わらず、その情緒的なものを許してきてしまった組織(所謂社風)のために、その正社員は結局萎縮してしまい何もできなくなってしまっているということなんですよね。

マネージメントというものはどういうもののかということを考えさせられてしまいました。

おそらく、その正社員の上長が、もっと何でも仕事上の話しのできる雰囲気を作り上げていれば、こんなことはなかったのでしょうね。ただ駄目だから怒るとか、失敗したから怒るとか、感情的な部分でのマネージメントでなく、仕事をしていく行為そのもののみの是非を問うことのできるマネージメントの大切さ・・・。

面白いのは、その上長は、自分はマネージメントがわかっていると自負している点ですね。確かに優秀な奴なんですがね。自分の足元に関しては何も見えていないようで。(笑)
傍から見てても、どこに非があるかは明確で、組織にとっても何が得かは自明の理であるにも関わらず、そうではない方向へと行ってしまうのは、本来論理的であるべき企業活動というものに対して、どうしても情緒的な部分が入ってしまうからなのでしょうね。所詮は感情的な動物である人間が企業活動を行っているのですから、仕方がないんですけどね。
と言うことは、その感情的な部分を明確に切り分け、行為そのもの自体の是非を問うことができる組織と言うのは、非常に良い組織になれると思うんですがどうでしょうかねぇ。

まぁ、それはそれとして、結局はこの優秀な人材を手放してしまうことになってしまっても、私が所属している会社は、まあ何となく回っていくんでしょうね。

つまらんなー。(苦笑)