私は、人の命は石ころより軽いものとは思いません。
亡くなった人を生き返らせることはできるでしょうか?亡くなる前と寸分違わず、かつて存在した実存として。

 


そんな事はできません。
修理すればいいということでもないし、別のものを用意すれば良いというものでもない。
かつて存在した命は、かつて存在した命でしかなく、それに変わるものなどどこにもない、唯一絶対のものなのだから。

だからこそ、命は尊く、人は人の死に畏れを抱くのだと思います。

しかし、現実はそうではありません。
人の命が石ころよりも軽い場所が確かにあります。
そこでは人の命は石ころよりも軽いのです。

それも、また確かな現実です。

私も黄泉さんと思いは同じです。
目をそらさず、フィルターをかけず、現実を現実として受け止めるしかない。
香田さんがイラクへ行き、そこで起こった現実をきちんと直視しなければなりません。

イラクへ行って何か役に立ちたいと思っている人。
それはそれですばらしいことだと思います。それぞれが考え自分の判断で思うことなのだから、私は文句はありません。

ただ、あなたは残される者の思いを考えたことがありますか?
一瞬でも、自分の人生の中で関わった、あるいは関わっている人たちの思いを考えたことがありますか?

考えたことがないのなら、今すぐにとことんまで考えてください。お願いします。

一人で逝ってしまうのは簡単なことです。それであなたは無に帰り何も残らないのですから。
でもね、残された者は死ぬまでずっと、出口の無いあなたへの思いを抱えて生きていくんですよ。
もうあなたは存在しないのだから、あなたへの思いの出口なんかあるわけないじゃないですか。

血縁でもいい。
親友でもいい。
かつての恋人でもいい。
かつての友人でもいい。

残された彼らは何を思うと思いますか?

「あの時、こうしていれば、もしかしたら今も生きていたかもしれない・・・」

人は一人で生きているのではありません。自分に関わる人との関係性、思いと共に生きているのです。
それでも、どうしても行きたいというのなら、全ての関係を絶って行って下さい。
どこへ行くかを誰にもつげず、顔も変え、名前も変え、もし殺されても殺された人間が誰なのかわからないようにして行ってください。
そうすれば、誰もあなたに思いを残すことはありません。お願いします。

 
 
今回、私はこのビデオを見ることを迷いました。
でも、私は自分の目で見て判断すべきだと思い、このビデオを見、エントリーにあげました。

現実から目をそらすことはたやすいことです。
知らないふりをしてればいいだけです。
俺には関係ないと言ってればいいだけです。

でも現実は現実として、確かに存在します。

このビデオの件で、ネットの規制に関する議論をちらほら見かけましたが、私は、目をそらすのならそらすで、誰かにフィルターをかけてもらうのではなく、自分の確かな判断で行うべきと強く思います。