●The ABC’s of a Friend by Stupid excuse!! さん
遅い反応ですみませんです。(笑)

私、いつの間にやら、人に対する精神的な部分での自分の立ち位置、距離感をとるのがうまくなった気がするんですよねぇ・・・他者との関係が苦手という本質的な部分はまったく変わってないんですがね。(笑)

かなーり昔、私、他人とうまく関われないタイプだったんです。
『自分がこう思っているから、相手も同じように考えているにちがいない。』なんて感じで、そうじゃないとわかると、裏切られたような気持ちになったりして。他人を受け入れることも駄目でした。受け入れすぎて、にっちもさっちもいかなくなって、自分のコントロールが利かなくなって逃げ出してしまう(その相手との関係を絶つ)なんてこともしょっちゅう。(苦笑)
要は、しょーもないやつだったんです、はい。(大笑)

えー、はるか3万光年彼方の昔、私、格闘技なんかをやってたりしてたんです(笑)。大学行ってんのに学ラン着て(苦笑)。で、組み手なんかをやるんですが、こう、ある程度年季を積んでくると、相手との立ち位置なんかで、『おっ、蹴りが飛んでくるな』とか、『突きが飛んでくるな』とか、相手が何をしようとしているのかわかったりするんですよ。んで、『ここまでだったら、それも当たらないな』とか、『蹴ってこない距離だな』とか、そういう距離感がをつかめるようになります。まー、いわゆる間合いっていうやつですなー。


自分とは違う他者との関係性もこれに似てるんじゃないかなーと、最近つらつら考えてそう思いました。


私の本質的な部分においては、変わってなくて、やっぱり今でも人との付き合いってうまくない(めんどくさい)のですが、そこはそれ、来年年男というのもあるので、長年の経験と訓練(何のだ?:笑)の賜物により、傍から見てる分にはそんなことは全くわからない年相応のいっぱしの社会人に見えるんですがね。なので、実際に打ち解けてみてはじめてわかる部分も多いようで、逆に表面上の付き合い(相手からはたぶんわかっていない)では、完全に私を見誤っていることが多いと。良かれ悪かれですがね。(笑)

相手に対して、『どこまで入っていけば大丈夫かな?』、『ここまで入ったらやばいだろう』、『逆にちょっと踏み込んでみて、相手の見えていない部分を引き出してみよう』なんてことを意識的にも無意識的にもやっているようで、よく考えたら、これって、格闘技やってたときの感覚に似てるんですよ。私からアプローチする場合も、フェイントかけてみたり、後の先をとってみたり、相手の裏の裏をとってみたり、私なりの自己防衛として、色んなことをやってますなー。まさに組み手状態。(苦笑)

まぁ、上記の場合は色んな利害関係が生じている仕事面等においての話で、友達のような利害関係の生じない相手に対してはまた別な話なんですがね。こいつがなかなかやっかいなんですが、これもまた、格闘技的な視点で自分なりに解釈できるかなっと。(笑)

基本的に、利害関係の生じない相手に対しては、私、自分の与えられる範囲の中で全てを与え、何も求めないようにという気持ちでいます。そうは言っても、100%完璧にそうするのは難しいんですがね。(苦笑)

組み手をやっていると、色んな攻めの為のプランが頭の中に生じるんですが、こいつを考えてしまうと逆に上手くいかなかったりします。何も考えず、無意識レベルで相手の空気を察知しそれに反応するとうまく行くことが多い。

利害関係の生じない相手との関係っていうのは、そういうことなんじゃないんですかねー。

要するに、何かを得る為に相手に対して何かをしてあげるのではなく、もっと自然な無意識化のレベルで相手に対して何かをしてあげる。そして、それによって何かを得るという意識は持っていないけれども、結果として、何かを得ている。


人との関係の積み重ねはそういうことの繰り返しなんじゃないかなー。


友達のABC 私も好きな言葉だったんですよね。久しく忘れてましたが。(笑)