仕事ねぇ・・・。
昨日は、前にもちょろっと書いた友人が子供を連れて遊びに来ました。で、やはり会社をやめるということでした。そして、次も決まっていないと。田舎へ帰ることにしたようで住む場所も決めており、決まってはいなくとも地元へ戻るのでまぁ何とかなるんだろうなと思い、少しほっとしました。本人にしても奥さんにしても、暗い感じは微塵もなく、いつもと変わらない彼らがそこにいて、ほっとしました。
やめる理由は、プライベートな部分での理由に負うことが大きいようで、こういった結論を出したようです。つらつらと話を聞いていて、次を決めていないのは物理的に忙しいということもありつつ、「家族との生活を最優先した形での職を探したい。自分が何をしたいのかはわからない。」ということのようでした。
仕事って何なんでしょうね。
自身の持てる全てを仕事に注ぎ込んでいる人もいれば、仕事は金銭を得て生活をしていくための手段にすぎないという人もいる。どっちが正しくてどっちが間違っているかでは無く、己の価値観に基づいてどう選択するかだけのことなんですが、少し考えさせられました。
私はねぇ、どっちも経験あるんですよ。ほとんど全てを仕事に注ぎ込んでいた時は、その価値観に疑問を呈し、生活の一手段としてプライベート重視で割り切って仕事をしていた時は、その価値観に物足りなさを感じて・・・。つくづく人間は満足をしない動物なんだなー。
ただ、全てのベクトルは自分に向いているのでどちらを選ぶにしても、自分の糧となるべき選択をしたいなーと思い、彼にもしてもらいたいなーと思いました。
と言いつつ全てにおいてバランスが重要なんでしょうねぇ・・・。1か0かの二者択一では無く、その中間もあるということで。そうそう割り切れるものでも無いのだから、境界線上をまったりと進もうかなぁと。(苦笑)
仕事(だけでなく人生全般)をどう位置づけるかは、同じ人でもその時々によって変わっちゃいますね。
近頃は0か1かの二元論に決めたがる世の中の風潮で、その奥にある背景から目をそらそうとして、ことの本質を見誤ることが多いですね。二元論にすれば深く考える必要がないから、考えるつもりや元々考えるキャパのない人には好都合なんでしょうけど。
人生全般にバランスを取るのは、できる限り多面的・客観的に見たり、自分を疑ったり結構しんどいですからね。
ワタシからすれば「自分が何をしたいか分からない」のに家族を優先して組織を飛び出せるのはある意味すごいなぁ。自分も何をしたいか分からないかもしれないけど、今ある環境を受け入れて少しでも(社会的正当性のある)居心地の良いものにしたいとは思ってはいるんですけどね…。
どうもです。^^
二元論ねぇ・・・。結局、0っていうのは1であることで、1っていのうは0であることで、物の見方立ち方によって違うだけなんだよねー。生きるってことは死ぬって事だし、好きっていうことは嫌いって事だし、心は体を意味するし・・・全てのものにおいて表裏は一体であって一つのものをあらわしてるからねぇ。
まぁ、確かにバランスをとって生きるのは結構しんどいけれども、生きることの意味が何かを知ることであるのなら可能な限り多面的・客観的立ち位置で物事を考えていくべきかな・・・と。
だいたい、何をしたいかわかっている人間なんて本当の意味ではいないんじゃないかな。結果として何がしたかったかということが解るだけのことだと思う。
って朝っぱらから濃ゆい話振んなよなーって感じ?(笑)
仕事ねぇ
仕事ねぇ / 我楽 へのコメント;
これ、男性と女性というのでも変わってきたり…