自身を肯定するということ。
社団法人日本産業カウンセリング協会という団体があります。産業カウンセラーを中心として組織されている団体で、産業カウンセラー試験の実施、産業カウンセラーの養成を行っています。
産業カウンセラーとは、職場でカウンセリングを行うカウンセラーのことで、心理学的手法を用いて、働く人たちが抱える問題を、自らの力で解決できるように援助することを主たる業務としています。
で、私、実はこの資格をもっておりまして。取得したのは確か2000年だったので、労働省の技能審査として認定されていましたが、現在ではこの協会の認定資格となっているようですね。
当時、別に何があったというわけではないのですが、まぁ、もともと心の暗い部分に惹かれるというか、自分の感情をコントロールはできても、どこか嘘的な部分を抱えていたりもしていたので、何の気なしに養成講座を受けてみました。生きていく指針の一助となればいいと思いまして…。教育訓練給付制度厚生労働大臣指定講座にもなってましたし。
この養成講座ですが、約7ヶ月(169時間)、土日を中心に開かれており、約半分の81時間は実習にあてられていて実践的カウンセリング講座の要素が強いです。
カウンセリングについては、様々な手法が考案され実践されておりますが、ここの講座の中心的な手法は、カウンセリングで有名なカール・ロジャースの”答えはすべてクライアント(来談者)が持っている。そのすべてをカウンセラーが寄り添いながら受け入れることで、クライアントは自ら答えを引き出せる”という「来談者中心療法」を主に、傾聴の基本的態度(純粋さ・無条件の肯定的関心・共感的理解)を磨くことによりカウンセリングを実践していく手法がとられています。
実践講座のほうは、10人程度のグループに分けられ、毎回、自身それぞれが本当に抱えている問題をテーマに、カウンセリングを実践していくスタイルとなっているんですけどねぇ。これがなかなかきつかったです。初めて会った人たちに、自分が抱える問題をそうそう話せるわけがないですし、当初はお腹痛くなりましね。(苦笑)
でも、目的はこの講座を通してカウンセリング技法を学ぶことなので、皆、徐々に自身の抱えている問題を表出させ、それを寄り添いながら無条件の肯定的関心と共感的理解をもって受け入れ、問題を抱えている本人が心の中で隠し・否定し・葬り去ってきたものを、自分自身で気づき・肯定し・受け入れ・昇華させるというプロセスを自身のこととしてリアルに体感できました。ある方が話しながら感情を表出させ泣きだしつつも、カウンセリングを終わった段階で何かが吹っ切れたように、非常に静かな状態になっているようなことも・・・自己開示を通じたパーソナリティの変容を真近に見るとても貴重な体験でした。
どんな人でも、心の奥底に、いろいろなものを抱えて生きていると思います。そして、それをどこかに出せず、隠し、否定しているから、本当の自分になれないのでしょう。表現する(文章を書く・絵を書く・写真を撮る・何かを作る等)ということは、自分自身を客観視し、肯定し、今ある姿としてのありのままの自分を自分自身に認めてあげるというプロセスを通じて行われることだと思います。表現する行為によって、本当の自分に気づくことができるものだと思います。
ブログは匿名性をある程度保ちながら、誰にでも簡単に始められる非常に良い表現手法だと思うので、もそさんがおっしゃっているように、何かに行き詰まっている方には何かが得られるものなのかもしれないですね。まだ、やっていない方、是非、ブログを始めてみてはいかがでしょうか。
ちなみに、私にとっては、非常に助かっているツールになってますなぁ。(笑)
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トラバありがとうございました。いやぁ、じっくり何度も読み返しちゃいました。
> 問題を抱えている本人が心の中で隠し・否定し・葬り去ってきたものを、自分自身で気づき・肯定し・受け入れ・昇華させるというプロセス
まさに去年のワタクシのやってきた作業そのままですぅ(苦笑)。
嘘を付き続けていけばどうにかなると思ってたんですけど、やっぱり無理でした。
虚像はあくまでも虚像で、虚像を作りあげる作業が自分にものすごい負担をかけていた事さえも気付けなかったですね。
結局、ありのままの自分を受け入れてあげないと、どこにも行けないし進めない。
他人が受け入れてくれたからと言って何が変わるわけでもなく、自分を変えられるのはやはり自分だけなのでしょう。
そんなわけで私もblogに助けられた一人です。Border.さんはどの辺が助かったんですかw??
はい。毎度どうもです。^^
ジョハリの窓ですねぇ。閉ざされた自分の窓を開いていくという。
>Border.さんはどの辺が助かったんですかw??
うーん、どうでしょう?(w
書くことによって、自分の思いがどこにあるのかということは確認できているような。後は、誰かのために書くというプロセスを通じて、自分のリビドーを果たせるという部分ですかねぇ。(笑)