堕落論 (新潮文庫)
堕落論 (新潮文庫)
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坂口 安吾
新潮社
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暫く前に、一部上場企業のお偉いさんと酒の席を共にしたのであるが、酒の席での戯言として自分はどうなりたいか?なんていう命題をその方が出されていた。その命題に私自身、どう答えたかは忘れてしまったが、その方は、その戯言の中で相反する単語を用いて、私の人となりをわかろうとしていた。その相反する単語というのが、こんな感じ。


 
・ホンダ⇔トヨタ
・イチロー⇔野茂
・孫正義⇔三木谷浩史
・・・etc

私がどう答えたかは割愛しますが(笑)、私の答えを聞いてその方はずばり「あなたは反体制だねぇ。」と一言。その通りなんだけど、短い間でずばりと相手を型にはめてきたのには正直感心しました。これは使えるなぁと。(笑)


私、「反体制」という言葉でこれまでの私の生きてきた道筋というものの大部分は説明ついてしまうのが正直なところなんですよね。親からの逃走、ヴェンチャー企業への就職、馴れ合うのは嫌いだし、つるむのも何となく勘弁してほしい。依存されるのは最も嫌うところであったり・・・。今ある価値観への反抗と自身の孤独。

どうりで満ち足りることがこれまでなかったんだなぁと、「反体制」というキーワード一つで思い知らされました。と同時に、この先進んでいく道筋がおぼろげながら見えてきた感じです。

でも、反体制は行き着く先は体制でしか無いんですよね。なぜなら、体制への反抗、違う価値観の創造をつきつめて行っていけば、やがてはそれが体制へと併合されてしまう。マイノリティからマスへ。誰も気がつかなかったビジネスを始めても、やがては社会的に認知され、店頭公開、上場へとIPOされ、その時点で体制へと併合され、マスへと転化される。それが資本主義社会の論理と言ってしまえばそれまでなんですが。

そんなことを考えていて、ちょっと思い出たのが坂口安吾の堕落論の一節。

我が青春は淪落だ。淪落とは現実の中に奇蹟を追うこと。破滅か、しからずんば・・・嗚呼、しかし、破滅以外の何者があり得るか!何物があり得ても、おそらく満ち足りることがあり得ないのだ。
 
世に孤独ほど憎むべき悪魔は無いけれども、かくのごとく絶対にして、かくのごとく厳たる存在もまた少ない。僕は全身全霊をかけて孤独を呪う。全身全霊をかけるがゆえに、また、孤独ほど僕を救い、僕を慰めてくれるものはないのである。魂のあるところ、常に共にあるのものは、ただ、孤独のみ。


今だ青春真っ只中ということですかねぇ。(大笑)