傾向から推測することは可能ではあるな。

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様々な選択肢があり可能性は無限だから、未来があらかじめ既定されているとは思わないし、基本的に無宗教で神がいるなんて思ってもいない。でも、ふと神の見えざる手では無いが、何かの得体の知れない気配を瞬間的に感じることがあるし、過去に訪れたことの無い場所での既視感を経験することもある。

DNAに記憶された何かとでも言うべきものを感じる瞬間。それを思うと、神ではないが何かはいる(ある)のかもしれないという論理的帰結を導き出す以外に結論は見つからない。

物語の中で自分を生かす空想に耽り、限りなく似非に近い哲学的思索に耽り、物語と空想がある意味自分の友達だった時代に、自分とは何かと言うことに思いをはせ、いつの間にか自分そのものの存在自体が曖昧となり自己を喪失してしまっていたのは致し方ないことなのだろう。

しかし、生きていく現実というものが迫る中で、やがて何かに依存して生きていくことから脱却し、自分の足で立って生きていかざるを得なくなっていくと共に、仕事をし、結婚をし、利害関係というもので人と繋がることが大部分を占めるという社会の中を生きていく過程で、そのような思い自体は希薄となるのが自明であり、そこで初めて自身の存在そのもを、そこにある何かとして実感するようになるのは皮肉ではあるが当然の帰結だと思う。

だが、本当にそれで自分というものは本当にそこにあるものとして確立されるのだろうか。

そこにおいては、全てにおいて自分の存在というものは他者との関係性の中で成り立っている自分でしかなく、他者が存在するという前提の上にコミットされた自分でしかない。

俺は誰ななんだろう。演じることを強いられるうちに自分の本質を見失ってしまっているのかもしれない。

 
まあ、俺が誰なのかなんてわからないけど、何でこんなによくわかるのか不思議だ。単なる統計的傾向なのかもしれないが、だいたい似た様な傾向が出るということは、神ではないけど何かがいるとしか考えられないじゃないか。(笑)

認識が合っているかは別にしてネ。