パーシャルなアプローチ
結局の所、普通に奇麗なおねーさんのポートレートを撮っても、予定調和の中での絵に過ぎないので、出てくる絵は誰が撮っても変わらない。もちろん、使用してる機材なんかによって変わってくるけれども、その相違自体も大きなくくりで見たら、大した違いでは無い。
やっぱり写真はライブ感が無いと…と思っているのはそういった側面からもあるんだよね。その予定調和の絵作りを打開するアプローチが僕の場合、パーシャルなポートレートだったりと。そしてそれは、往々にして、極私的な空間の創出と共に生ずるものなの為、私小説的アプローチに繋がる。まぁ、ただのエロ目線でしか無いと言ってしまえばそれまでだが(笑)
と言う訳で(って何が?w)誰かモデルやってくんないかな?w
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Comments
やっぱ足だよな。
うんうん。やっぱ足 (笑)
…細部に神は宿るって言うじゃない?指先、唇、髪の先…細部の繊細な美しさは転じて全体の美に通じる。そして隙のない全体の美しさは細部に宿る。歌もまたそうじゃね?
…だな、やっぱ足だな。
そそ、やっぱ足w