かなーり前に勤めていたところで一緒だった人がまさにそういう人だったんです。『自分は何も悪くない。周りが全て悪いんだ。だから、俺がよくなるには周りは俺の言う事を聞け』的な感じ。
境界例の一例なのかなーと思っていたのですが、まぁ、もっと簡単なことだったのかなと思いまして、書き留めておきます。


 
 
『俺がこうなったのは、あん時あいつがこうだったからだ。あいつのせいだ。』


と人のせいにして責任をおっつけてしまうのは楽だし簡単なことなんですよね。でも、それはナンセンスな話だと思います。
自分がそうなってしまったというのは、その時自分の判断で選択した結果であるから、全ては自分の責任であって、他人に対して責めを負わせるというのはただの逃避にすぎないと思います。


『あの時俺がこうしたから、あいつはああなってしまった。俺のせいだ。』


これもまた同じ。
自分のせいで誰かがどうかなってしまうほどの影響力など人は持っていません。
全ては相手方があらかじめ持っていた要素に対して、自分が触媒となってしまい、相手方が変わってしまうだけなのです。
要は、相手自身が自分で選択して変わっていくだけで、そのことに対して何の負い目を感じる必要などないのです。


 
 
人との関係性は情緒的な部分がほとんどを占めているので、客観的に冷静になるのは難しいし、こんなこと言ってたら、「なんて冷たい奴だ。あいつは」などと言われてしまうのかもしれませんが、どんな場合であっても、一端、立ち止まって自身の感情を廃し冷静に思いをめぐらす必要があると思います。そうすれば、全ては自分自身の選択と言う行為の結果によって他者との関係が成り立っているのだから、何事に対しても自分自身に対して責任を果たすことが何よりも大切だということがわかるのでは?と思います。


自分自身に対して責任を果たすということは、自分に関わるもの全てに対して責任を果たすと言う事と同義なのだから。


人は誰も、誰かに対して負い目を感じて生きる必要などないと思います。
そういう負い目を持つことにより、本来対等であるべき人との関係が悪い意味での主従の関係となり、自分が望まないことを受け入れざるを得なくなってしまい、その事によって自分が許せなく(自分自身に対しての責任を果たせなく)なってしまうのです。
そして、負のスパイラルから抜け出せなくなってしまうのです。


 
 
詐欺行為に嵌ってしまうのも、案外こういう人の気持ちにつけ込まれてしまうからなんでしょうねぇ。
私自身も気をつけようと思います。