個人であるということの難しさ。
駄文につき。(笑)
周知のとおり、中村修二氏が日亜化学と和解をしたのですが、あの会見を見ていて、やはり一個人というアイデンティティは法人とは同格では無いのだなと思いました。
あの紛争自体は、私自身、当事者であるわけでもなく、おっかけていたわけでもないので、断片的に入ってきたフィルタリングされた情報でしか知らないので、言及するつもりはありませんが。
さっきちょいと、一服してたらですね、隣のブースからマネージャークラスの人間が部下に対して色々と言っていたんですよ。内容はよくわからんのですが、言葉の端々に、企業理念は何なのか、自分のミッションは何なのか、それにむけてどうすれば良いのか、プライオリティをきちんとつけていかなければならない、企業というのは社会に貢献するためにある、なんつうことが聞こえてきました。それ自体はしごくまっとうな単語なんで、すばらしいなぁと思うんですけど、聞いていて痛いなぁと思ってしまったんですよ。何分、私、腹黒ですから。(笑)
まず聞いていて、全然響かない。どっかのビジネス書からまるまるひっぱってきた単語を投げてるだけで自分のものにできていない。ただ熱いだけ。w
聞いている部下は部下でわかってるんだかわかってないんだか、まったく反応なしという状態で。ww
まぁ、そんなことはどうでもいい話なんですが。
企業・組織内でミッションを行うに当たって重要なことってなんでしょうね。それは相互理解による信頼感に基づいた上で成り立つものだと思います。そう、つまり、本来組織に所属している個人とは、従属しているのではなく、独立した個人として、組織と対等に相互理解を深め、自身のミッションを遂行していくべきものなのだと思います。理想論ではありますが・・・。
職=組織を変えるということが、一頃に比べて普通になりましたが、個人の意識は変わっても、組織の意識というものはなかなか変わらないもんですね。個人と組織は相互理解の上で本来同格であるべきということがきちんと認識されずになぁなぁのままで、組織に所属せざるを得ない環境がまだまだ普通なんですね。と言う事は、組織に所属するに当たって、契約はきちんと結ぶべきということですなぁ。
私なんか、ちっぽけな話なんですがね。年棒制で仕事してたことが多いのですよ。で、あるところでこんなことがありました。
年棒制って、まぁ、年棒を14等分して、その一つが月の給料になり、残りの二つが夏と冬のボーナスっつうのが一般的だと思います。で、ある時、業績が思わしくないためボーナスが減った時があったんですよ。その企業は年棒制の人間が特殊で、普通の賃金制度の人間の方が大多数を占めていたわけですが・・・。
そしたら、なんと、年棒制である私の給料まで減らしてきたと。一ヶ月分の給料として換算されている14等分の金額を減らしてきたんですよ。もうねぇ、笑っちゃいました、自分に。あー、馬鹿だったなぁ、きちんと契約結ぶんだったなぁと思って。(苦笑)
まぁ、中村氏の6億だとか8億打だとかの話に比べたら、塵みたいな話なんですが、一般的な企業のあり方ってこんなもんなんでしょうなぁ。
個人であると言う事の難しさを、中村氏の紛争を見ていて強く感じた次第です、はい。
難しいですね。
個人=会社という図式は風土というか日本には元々なかった発想でしょうしね。
話をほじくりかえして行っちゃうと、人間の性善説とかにもなっちゃうしねぇ。(笑)
私も年俸でいただいておりますが、契約って何だか味気ないもののようにも感じてしまうんです。うちは管理職が年俸制なんですが、本来逆のような気がしないでもないんですけどね。(笑)
役員ならともかく、年俸制の1/14を削るというのは、さすがに聞いたことがない暴挙ですが、、、
自分が同じ立場ならブチ切れで相当暴れるだろうなあ。我楽さんは大人な対応ですね(皮肉ではありませんので誤解なきよう、、、)。
>198さん
誰が言ったか、もっとも成功した社会主義というのは、まぁ一理ありますなぁ。
>hiroshi-emonさn
いやいや。^^
それでいいと思いますよ。
背負ってるもんもありますしねぇ。
ただ、私は、どうしようもない状況が過去あって、そっから戻ってくるために選んだ場所であって、適当にやれるところと思って選んだりしたので。まぁ、想像以上にいろんな意味でとんでもないところでしたが。(苦笑)