亡くなった叔父の死に顔を見て、改めて死というものが持つ圧倒的な存在感を感じた。

死を迎えて初めて完結する、一個の肉体が持つ物理的な質量がそう感じさせるのかもしれない。或いは、日常に埋没し片隅へ追いやられ忘れ去られている死を、一切の装飾を排除した、ただあるものとして物理的に提示されることによる畏れ…のようなものが、そのように感じさせるからなのかもしれない。

いずれにしても、死の持つ存在感は、生が持つ存在感よりも遥かに物理的で、暴力的で、鮮烈で、鮮明である。

もう25年も前に見た祖父の死に顔をいまだに鮮明に思い出せるように、死というものが持つ存在感は圧倒的かつ不変なものなのである。