子どもの学力低下、初めて認める・文部科学白書:NIKKEI NET
文部科学省は11日、2004年度版の「文部科学白書」を公表した。国際学力調査の結果から「読解力などが低下傾向にある」と指摘、白書として初めて子どもたちの学力低下を正面から認めたのが特徴。「ゆとり教育」実現を柱とする現行学習指導要領の実施から3年しかたっていないにもかかわらず、「教育課程の基準全体の見直しを進める」と方針転換を強く打ち出している。


■TB to ゆとり教育アホ世代 by cool D’zine room [ LETTER ]

私はですねぇ、微妙に落ちこぼれなんですよ。負け犬と言うかなんと言うか。(笑)

私は競争原理の中で教育を受けてきました。私の母は、所謂、ステレオタイプの教育ママだったりしたわけで、私は、小学校受験から始まって、中学受験、大学受験と経験してきてます。まぁ、私自身は我が強いというか頑固な面があったので対立しつつも、完全に独立することはできず、母としては不本意であったでしょうが、トップでは無く、トップレベルの中から下というところへ落ち着くことで、折り合いをつけながら生きてきました、当時。まぁ、他人を差し置いてでも前へ出るなんていうことができない性格もあったのでしょうが。(苦笑)


当時のことを思い出してみると、確実に競争がありました。小学校の時には、四谷大塚進学教室へ行かされ、毎週テストがあり、そのテスト結果によって順位というものがつき、順位が高いのとそうでないのとで、正会員と準会員に分けられるみたいな感じでした、確か。正会員のやつらは所謂、開成・灘・武蔵なんかを受験するレベルで、準会員なんかは私が行った中学を受験するレベルでした。それ以外に、進学塾にも通って、そこでもやはり、上記のような感じで進む学校のレベルに合わせてクラスわけがなされてました。

中学自体はそれほど競争を感じたことはありませんでしたが、高校に入ると受験を視野に入れたカリキュラムになるため、実力テストなんていうやつも定期的に開かれ、そこでも順位がつけられ、そこにも確実に競争がありました。

こうして書いてみると何だかすごく嫌な感じの子供時代を送っているような感じですねぇ。(苦笑) まぁそうでもないんですけど。当時、それなりに疑問もあり悩みもあり、煮詰まったりもしましたが、今現在の私を形作っているのは過去の経験によるものであるので、その点から考えたら、それほど悪いことでもなかったのかもしれません。今現在、私が考えたり行動したりする基礎というものは、やはりこの頃にできたような気がするので。


今現在の私自身は競争から程遠いところにいますが、そんな私から見ても、良い悪いは別にして学校において競走が無いというのはまったく検討がつかないですね。(苦笑) 聴いた話ですが、小学生の運動会では順位が無いそうですね。徒競走でも昔は1等~3等までは旗のところに座って、順位毎にリボンもつけてらってっていうことを経験した私としては信じられません。確かに足の速さによる優劣で順位付けをつけるというのは好ましくないという考えもあるのでしょうが、どうもそれは本質から目をそらしているような気がするんですけど。

運動に限った話では無いですが、競争することによって、結果、必ず勝者と敗者が生じるものだと思います。そして勝ったものは奢らず、負けたものは次に勝つためにはなぜ負けたのかを検討し、次へと備える。負けたから悪いのではなく、なぜ負けたのかを客観的に考え対処する方法を教えることに教育の肝があるような気がするのですが。

学力テストも同じですよね。なぜ点数がとれなかったのかを分析し、どこが得意分野でどこが弱いから何をすべきかということを教えるのも教育のような気がするんですが。そして順位付けをすることにより、今、自身がどのレベルにいるのかを客観的に考え、自ら順位をあげるための対策をたてる力を養う・・・。競争原理にはそういった利点があると思います。これが生きていく力にもつながるんじゃないですかねぇ。

そして、それが全てじゃない。順位づけをするということは、負ける人間がいるということですけど、負けることが悪いことでは無い、負けるからこそ次への対策がたてられ、より強くなれるんだ、というようなことを曲がらないように子供に教えてあげるのが教育の本質のような気がします。

ゆとり教育にしても、そこからの転換によって競争原理を復活させるということも、その本質部分をきちんと考え、教育に実践していける人材をどう育成するかが鍵となってくるような気がします。同じ人材が本質をきちんと捉えずに、ただカリキュラムに沿って教育を行っていくようでは同じ結果になるんじゃないかなぁと思えるんですけどどうですかねぇ。


ああ、そうそう、良くも悪くも落ちこぼれつつ何とかやってこれてるのは、卒業してしまってからは付き合う友達もまったく無くなってしまったけれども、進学校でありつつも自由闊達な雰囲気の私立中高で教育を受けたという点に負う所が大きいような気がします。先生も目的(大学受験)が明確だったせいか、個性的ながらもきちんとしたポリシーを持って教育を行っていましたねぇ。

自分の子供もやっぱり私立に行かせるのかなぁ・・・。(笑)