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一回目なんだから、ぬるめの話題を・・・なんていう前振りもあったのですが、どうも超極私的仕事事情による戦闘モード状態からなかなか抜け出せないため、っつうか切り替えができないので、マジメ系のテキストとなってしまいました。関係各位、スマソ。

と言うわけで、記念すべき第一回目は『私が腹黒な理由』です。(笑)


 

闇を知らなければ、光が明るいということはわからないし、光を知らなければ、闇がまた深く暗いということもわからない。

人間なんて、誰もが心の奥に深い暗さを飼ってると思うんだが、いったいどれだけの人がそれが普通のことであるとわかっているのだろうか。誰しも、心の闇なんてしまっておきたいし、できることなら忘れてしまいたいなんて思ってるだろうけど、それってどうなんだろう?夜があるからこそ、朝が来れば陽の光がいかに明るく素敵なものなのかわかるわけで、陽の光が明るいからこそ、何もかも覆い尽くす夜の深い闇もまた、必要なものだと思う。そこにはどちらがどうとかいう概念は無く、すべての物事は一なるものから生じると言う真理がある。

人なるものもまた同じことであろう。

過去の負の経験をそこにあるものとして受け入れることなく、無かったものとした上での前向きさだけを表現する人がいる。自分がこう思うのだから、他の人もそう思っているはずだという根拠の無い親切さに基づいた前向きさを押し付けてくる人もいる。

そうかと思えば、過去の負の経験にがんじがらめに囚われ、自分は駄目な人間なんだと、光があることを忘れてしまっている人がいる。傷ついてしまった自分を守るために暗がりの中へ隠れてしまい、陽のあたる場所を忘れてしまった人がいる。自分に自信が無いために、他者からどう見られているかを気にするあまり、自分には何も無いんだということを察知されないために、他者を攻撃することによって自我を保とうとする人もいる。

これらのことに共通することは、結局は現在の自分をありのままの自分として受け入れることができていないということにすぎない。なぜなら、すべての物事は一なるものから生じるのだから、駄目な自分と良い自分なんて別々にいやしないし、嫌な自分と好きな自分なんて別々に存在しないのだから。

私、人間的にかなりまずいだろうっていうことを考えたりもするし、実行したりもするし、ボソッと言ったりもするし、かと思えば、前向きなことを言ったりもするし、それを本気で思ってたりもするし、行動に移したりもする。

これって、やっぱり、過去からの体験に基づく、他者から見ればどうでもいいことなんだろうけど、本人にとってはとても重大なファクターであったネクラーな部分をけっこう抱えているからなわけで、そして、それを完璧ではないけれども、ただそこにあるもの、あったものとして受け入れてるからだけのことだと思う。

とうてい自己一致の安定した状態とは言い難いけれども、まずありのままの自分を受け入れるということを常に念頭においている私は、だから腹黒なのですよ。ねぇ、もそさん。(笑)

と言うことで、次のエントリーをお願いします、もそさん@今日の覚え書きさん。(笑)