見た目であったり、見てくれであったり、外から見たイメージというものは、そのもの自体が持つ本質を想起させると言う意味で、非常に大切なものであり、また、そのイメージがそのものずばりの本質であれば、とても幸せな状態である。サイコロジカル的な観点からであれば、自己一致の状態がそれであり、言行一致の状態もまたそれである。

このことは、あらゆるものに当てはめる事ができる。

格闘技で言えば、美しい型=強さというものは、限りない反復練習による基本動作の習得の上でしか成り立ち得ないものであり、バレエであれば、美しい舞というものもまた、限りない反復練習による基本動作の習得の上でしか成り立ち得ないものである。野球にしてもしかり、サッカーにしてもしかり、あらゆるスポーツにこのことは言えることであろう。外見の動作だけを真似することはできたとしても、強くきれのある球を、投げられるということにはならないのである。

好きな作家の文体を真似してうまい文章を書くことは可能である。
好きな絵を真似して見てくれだけはうまい絵を描くことも可能である。
アングルを真似して良い写真を撮ることも可能。
歌い方を真似して歌をうまく歌うことも可能。

でも、それら全ては外見だけで中身は何も無い、単なるフェイクにすぎない。


ビジネスの場においてもそれは然り。

いくらトップが熱く思いを語ろうとも、長年放置してきた組織の現状を鑑みれば、外面だけの中身の無い人間の戯言としか思えないわけで、これではまずいと思い、突然毅然としたトップダウンによるマネジメントを行おうとしても、自分たちで思考錯誤しながら何とか形を作ってきた現場からは、こいつ何を今さら言い出してるんだとしか思えないわけである。

資金調達を行う上でのプレゼンであれば、その外面の良さによりいくらでも資金を引っ張ってくるのは可能だが、それも限界がある。なぜなら、トップと現場が限りなくズレてしまっている組織がうまく回っているはずが無いからであり、それは自ずと数字に表れてくる。ベンチャーだから赤字と言う言い訳も、3年も続けばどんな阿呆でもそのトップに経営能力が無いことに気づくのは道理なのだから。

そして、こういう外面だけを気にするトップに限って往々にして自身に能力が無いということを決して認めず、他人の言うことに耳を貸さず、最後には俺の会社なんだからと言い出すのである。

後は奈落の底へ落ちるだけではある。