ちょっと前のCHEEBOWさんのエントリーに反応してみる。

■TB to ヒビノアワ: 好きな作家は誰? と聞かれると困ってしまう
小説が好きだと言うと、「好きな作家は誰?」と聞かれたりする。これに答えるのはとっても難しい。
というのも、僕は、あまり作家で読むものを選ばない。
「縦に読む」ってやつだ。

縦読み、横読み…ふむ。知らんかった。そんな風に言うのねー。(笑)

CHEEBOW さんは作家で読むものは選ばないのか…。私の場合はどっちかというと、もう完全なる横読み。(笑) 気に入ったとなったら、結構買い続けるタイプ。

この2~3週間で読んだ本を一例にあげると、森博嗣3冊、京極夏彦2冊、大沢在昌1冊、宮部みゆき1冊、浅田次郎1冊、栗本薫3冊、田口ランディ2冊、高村薫1冊…てな感じで、初見なのは高村薫だけ。今日は、またブクオフで田口ランディ2冊、仕入れてきた。w


どうもね、アレなのですよ。本を選ぶのに最近あまり冒険しない。なぜかと言うと、ほとんど雑誌を読む感覚で読んでるから、新刊本買ってると小遣いがもたない。 → 仕方ないのでブクオフへ行く。 → ブクオフ行くと、本は棚に入って背を向けている。 → 平積みじゃないからピンとこない。 → 必然的に探すのめんどいから自分が知ってる作家になる…って具合で。(笑)

これが横読みになる外部環境要因。

んでもって、内部環境要因としては…やはり、作品にチャネルしたいんだよね。その作家の持っている内面的なるものに。要は行間に潜む無意識的意志みたいな。それに感応したいからじゃないだろうかと、ちょと思った。田口ランディのコンセントじゃないけど。

本の面白さって、物語のプロットであったり、テーマであったり、出てくる登場人物であったり…色んなもので構成されてると思うんだけど、それらを全て抱合して作品として形になしてるものは、その作家の持つ自我だったりするので、それに自分がシンクロできるかどうかが結構重要なんですよねー、私のばやい。だから、一度はまるとそっからなかなか抜け出せない。

逆に、同調できないと読まなくなっちゃう。最近読んだ中では高村薫なんかがそうかな。そして、送り手である作家自身も年齢を重ねることによって、自我が変化していくのと同時に読み手である私も変化していくから、あんなに読んでたのに読まなくなってしまう作家もけっこうある。まあ、それはマンネリズムによる陳腐化であったり、興味の対象が変わったりっていうこともあるけどね…。

さて、これをお読みのあなたはいかがでしょう?