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夢の中からみつけた街

撮った者の意図された、或いは意図されなかった思いの一瞬を焼付け、時は進もうとも固定された一瞬は、過去と言う定義を与えられても、同一軸線上の現在を見るものに提示する。それを見たものは、その中に即物的な記録としての過去を見るのではなく、今ある自分の現在を作品に投影し租借するので、未来へ続く直線上の過去という点を切り取ったものだとしても、写真は現在を常に提示し続けるものなんだろう。それを見、感じる受けては現在そのものなのだから。そして、見る者によって写真に写る光景はそれぞれ違う現在をあらわすものなのだろう…な。


もう終了間際なんだけど、ベルコモンズのところからキラー通りへ上がっていくとあるワタリウム美術館で”I Love Art8 写真展:夢の中から見つけた街”という展覧会をやってる。最近、仕事がらみで表参道づいてたので、仕事のついでに(さぼりとも言う:笑)何度か覗いた。会期中は一度チケットを購入すると、名前がわかるものがあれば何度でも入れるので、3回ばかしさぼってね。(笑)

今回の展覧会はワタリウム美術館が所有している現代美術コレクションから、13人のアーティストの写真100点ちょっとをピックアップして展示してて、私が好きな…と言っても表面上触ってるだけにすぎないが…アーティストの写真が展示されているので、足しげく通ったわけです。

ダイアン・アーバスロバート・フランク、アレン・ギンズバーグ、寺山修司、メイプルソープ


ダイアン・アーバスの人物写真には、誰もが持っているだろう原始的な歪みを遺伝子レベルの部分で感じるし、ロバート・フランクの写真には、ジャック・ケルアックがいみじくも”カメラの詩人”と言っているが、主観的な現実を切り取ったモノクロームの写真にモノローグを感じる。寺山修司の意図された退廃的な美しさの中には自分の耽美的な部分が共鳴するし、メイプルソープの Flowers に私が感じるのもまた、同種のものだったりする。

今回の展覧会での収穫は、島袋道浩とデヴィット・ホックニーとデュアン・マイケルズ。写真と言う手法を使って見るものに様々な物語を提示してくれる。

6月4日(日)で終わりだけれど、週末にもう1回行ってこよう。


ワタリウム美術館、こじんまりとしてて狭いんだけど、一度チケット買ったら会期中何度も入れるから、けっこう良いんですよねー。特に調べて行くわけでもなく、たまーーーーーに、ふらっと覗くとタイムリーな展示をやってたりするし、元々は美術系の書籍やステーショナリーを扱うショップ”オン・サンデーズ”が始まりで、地下と1階はショップだから、時間つぶすには最適。欲しくても高くて買えない美術書をぱらぱらめくるにはいい。(笑) 喫茶店もあるし。

美術系のワークショップも定期的に開催するんで、一度何かの機会には出たいなぁと思ってるんだけど、なかなかねー。今回は写真ワークショップ”書を捨てよ カメラを持って 街に出よう”っつうのをやってたんで、出てみたかったんだけど…。

どんな感じなんだろう?おさーんでも大丈夫かと躊躇してしまった。(笑) 誰か、この手のものに出てみた人いますかねー。